影を伴う雲の上には、光を伴う星がある。全ての物事の上に、汝自身への畏敬を。
- ピタゴラス
今晩は新宿初台の東京オペラシティコンサートホールにて、サー・アンドラーシュ・シフのピアノリサイタルを聴きに行った。シフはイギリスのナイトなので、クラークスのワラビーで出て足早に向かったが、敷地の噴水式の水面に不覚にも足元が溺れてしまった。幸い、獣皮なので、表面の水分は撥ねて済んだ。
割券し入場すると、堆く平積みされたシフの書籍を、見るや迷わず買い求めた。「静寂から音楽が生まれる」とある。お手洗いの行列を合間で抜け、ホールの席に着くと、黒く光るピアノがそこにあった。滑らかな天板の内側に整然とした弦の並びが映り込み、演奏者の姿は見えない座席だった。前列の若い恋人の彼氏の髪型で隠れていた。鞄から取り出した本の表題に従い、目を閉じると、満場の知的な会話の重ね合わせが、なにか森に流れる風のさざめきのように聞こえた。不協の鐘が8度鳴った。天だろうか、どこからともなく声がした。シフだ。そして、とても優しい日本語だ。
きょうはサプライズコンサートです。みなさんでごいっしょにたのしみましょう。
10分程すると、放送室から移動したと思われるシフが舞台に現れた。手の内を見せずに席に着き、早速弾き始めた。
ゴールドベルク変奏曲 アリアであった。
やはりそう来る!と期待したとおりだったため、わたしは目を閉じ、強く顰め、眼の血が沸るのを抑えるのに必死だった。ほどなく、真っ暗な宇宙が見えた。永遠の沈黙と畏怖とが視界を包んだ。そして、自然と2つの思い出が浮かんだ。
ひとつは、小学5年のとき、わたしは体温計を落として割ってしまい、水銀が床に露わになってしまった。担任が身近な袋のようなもので回収してくださったが、人の世話になったのはそれが初めてである気がして恥ずかしかった。
もう一つは、妻の姿だった。いつも見るようで時間が合わず顔を合わせられない日常だが、妻の頭脳と表情は常に均整を保っていて、わたしはそれで好きでいられる。この人はあの病んで捻くれた状態のわたしの妻となってくれた。3度振って拒んでも、辛抱強くわたしの本心を読み取り、誰よりも理解しようとしてくれた。当時文通していた手紙には、養う決意と結婚する意志を毅然と述べてくれたので、わたしは心から信頼した。納得の旋律だった。
続いて、いくつかの曲目を告げた。続けて弾くという。
ハイドン:ピアノ・ソナタ ハ短調 Hob.XVI:20
第一楽章では、小学校の中庭が在々と浮かんだ。その光景は、音楽室から見たものだった。木琴が似合う女性だった。出席番号からして5月生まれだから、5ヶ月ほどわたしより年上である。わたしも木琴を奏でてみたかったが、その女性はあまりに似合うので、わたしは傍から眺めるだけにした。2学期、その女性は夏休みの宿題に、木星の研究をまとめてきた。わたしが小学校で唯一興味をもった研究だった。どうやら図書館で調べたと聞いたので、わたしは市内の図書館にたびたび滞在し、鼓動を抑えつつ天体番号を集めていたら、星座や惑星が同じくらい好きになった。
第二楽章は、高校の裏手にある大きな公園が浮かんだ。寒い朝だというのに、わたしは英語の教科書を公園のベンチで開き、ひとり学んでいた。チューリングがリンゴをかじる場面だった。辺りでは枯葉がかさこそとなだらかな風に追っかけられ、雲はそれを穏やかに見守っていた。教科書を閉じ、3年の5月をどうするべきか、決めかねていた。ただ、結果としては、10年後、その人は津田沼の雑踏を茶色のダウンを着て逞しく闊歩していた。桃色のマスクも着けていた。それでも、通りすがっただけのわたしは、その両目がはっきりわたしを眼差したと感じたが、目が赤く、今にも泣き出しそうだったので、わたしが無職無収入無貯金の精神障がい者であったことを踏まえ、黙って通り過ぎて然るべきだと考え、そうした。
第三楽章では、市内を自転車で駆け、図書館に入り浸り、広く県内も自転車で走ってもいた。それはもう物凄い勢いで、胸の内を緑の空気と潮の香る砂浜で埋め尽くし、無心でペダルを回しては、不確定な17年間を超高圧で、目的もなく加熱しつづけた。
モーツァルト:ロンド イ短調 K511
港へ赴く思いがよみがえった。風が呼ぶ方向へ歩いていくと、突堤に少し開けた場所があり、そのベンチで貨物船やコンビナートを眺めた。波はいつまでもそこに居ようとするわたしを受け入れてくれた。日が暮れ、夜が来ても、わたしの相談に付き合ってくれた。それは冬まで続いた。父に、退学届を提出した事実を伝えた季節だ。その際、反実仮想として、まずアメリカの砂漠に行きたいと話した。その日以来、父は顔を白くして働いていた。退学日を数えるまでベンチで海と話しているうち、どうして人生は可能性にすぎないのか、波は答えてくれたが、教えてはくれず、でもそれで十分な気もした。
ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6
淡々とした中学を思い出した。卓球台でのラリーのような勉強と部活の往復だった。基本的な生活リズムを確立し、高校入学後は基本リズムの変奏を展開すれば良かった。少しずつ若い色彩や形のずれをなし、やがて静かに去った。
ベートーヴェン:6つのバガテル op.126
第一楽章。画板を引っ提げ、まず絵になる場所を見つけに自転車で探し回った。習志野の埋立地方、稲毛の浜、幕張新都心、検見川の橋脚、市川や東京方面へ電車で出ることもした。
第二楽章。激しい心の揺れを経験し、これが疾風怒濤か、あれかこれかだ。大学受験が高い建築のように思われ、それがあまりに夢のようだったので、そして夢でありつづけてほしかったので、わたしがその門に立つことをわたしは許せなかった。
第三楽章。先もなく卒業し、感性の波は静まり、いくぶん穏やかになった。柏の鎮守の森にある鳥居の手前の階段に腰掛け、キジバトの鳴き声と共にしばしばおにぎりを貪った。
第四楽章。いざ大学へ入ってしまうと、生活が前進した。光景が懐かしい教室に勇んで講義に出て、図書館で決めた冊数の読破を課した。体育科目ではサイクリングを選択し、学内を巡った。
第五楽章。最大限の優しさを払う必要があった。すなわち、数学の研究を中断し、いつまでも中止せざるを得ない可能性も濃かった。
第六楽章。流山駅で乗り換え、千葉の港の波間の蠢きとその音楽が響いた雲が赤く染まり日が暮れるまでわたしの意思は変わらなかった。波と対話を重ねた。覚悟は決めたのか、本当にそれでいいのか、と。何度も。
それがわたしの十代だった。
シフは再び手の内を隠して四方に礼をし、それを3度繰り返した。
シューベルト:アレグレット ハ短調 D915
留置所にいた。命が助かった意味を、畳の房で体育座りしながら考えた。この時からわたしは泣き虫になった気がする。なんのために中学であんなに努力したのか。なぜ高校を飛び出してまでひとり研究を志したのか。
朝日が差し込むと、朝食が配られた。煮豆や油揚、切干、簡単な揚げ物の盛られたプレートと、一包のパンだった。稲毛の製パン工場で出来立て直送らしかった。風呂も各房交代で、厳重監視の下、罪を疑われた男たちが定刻で湯を浴び着替え、続々と入れ替わった。
晩になると、再びプレートと今度はごはんの碗が配られた。だんだんと、食べられることに心が動くようになった。人権が基本的に守られ、最低限ではあるが、健康で文化的に過ごす権利が認められていたからだ。守衛担当の警官が輝いて見えたので、その夜は帳面とペンを借り、机の明かりで執務する警部の様子を描いて見せたら、褒められた。作品を人から評価された初めての体験になった。
房にいた2人の男たち、送検され檻で待つ間に対面した5人の男たちとは、よく談笑した。それぞれの経緯を話しては笑い飛ばした。中には注射痕を見せる病的な人や、恋人との破談を深刻に取る真摯な人もいて、人の見本にした。わたしの話はみな面白く聞いていた。なにが面白いかはわからなかったが、わたしは面白い話を持っている人だと認められた気がして、すごく自信を取り戻せた。まもなく釈放され、昼には元気な姿で父が車に迎えた。
シューベルト:ハンガリー風のメロディ D817
大学へは父が車で宿舎まで送り届けてくれた。構内に入る時、自分の居て良い場所に迎えられた気がした。直に少し離れた場所に部屋を借りたため、再び両親が引越しに来て、わたしは呷った蕎麦焼酎の酔いが残って役に立たなかったらしい。さすがに両親に対し情けなくなったので、以来酒は飲まなくなった。 新居は月二万三千円のアパートで、学生一人が暮らすには充分すぎた。ただ、洗濯機が動く夜は、振動も伝わりなかなか寝付けるものでなかった。本棚に2冊並んでいたゲーテ格言集を月明かりで読み耽ったものだった。
3学期の講義が始まると、再び学問に向かった。それは意外と易しく、自由だった。どの講義からも教訓や発想の一つや二つ得るところがあり、次第にそれらを組み合わせることを覚えたので、試験やレポートで難儀することはなく、出席できた科目は単位を滅多に落とさなかった。
シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D894「幻想」
ところで、あの真夜中は、どういうわけでそうなったのか今も理解していないのだが、宿舎で最も利発だった年上の同級生が、なぜかわたしを求めている人がいるから、過ごしてやれ、と言うので、わたしは特別興味はなかったが、女子棟の最上階の一番奥の部屋を叩き、丁重に迎えられた。自家製の味噌を頂き、美味しかったので、彼女が家系図を書き出した意味をそこはかとなく理解しようとした。その夜は実に美しい経験だった。月夜の空は実に澄んだ藍色で、窓の明かりが充分陰を作った。わたしは唇や乳房を口に含み、陰唇に何度も口づけした。しかし、倫理上当然なことに、一度挿しただけで終え、左腕に抱えて夜を過ごした。彼女は眠っているように見えたが、わたし同様、眠れるはずもなかった。朝が来ると、いそいそと鞄を抱え、それぞれの教室へ向かった。彼女との関係がそれ以降続くことはなかった。
照明がついた。シフは袖に引く時、確かに泣いていた。舞台に戻ると、眉間を厳しく寄せて手を合わせ祈っていた。
シューベルト:3つの小品 D946から 第1番 変ホ短調
その後わたしは3人の女性と関係しようとした。ひとりはデニーズでランチし、車で送り迎えまでしていただいて、別れた。別の1人は、千葉中央の映画館へ手を繋いで、ウサギのアニメを観て帰宅した後、メールで別れた。もう1人は、新卒の会社を辞めた後、研究か起業の道を整えていた頃に告白したが、予想通り断られ、研究者の道も起業の意志も止み萎えた。
そうして、科生の研究室の元彼から飛び出してきたと言う女性と辞書を編纂する映画を観た後、江ノ島の海岸で抱擁しキスし、2人で並んで体育座りして夕暮れを共に見つめた。
シフは謹ましく往来し、最後に組まれた曲を披露した。
シューベルト:3つの小品 D946から 第1番 変ホ短調
それから10年、2人で協力してきたとはいえ、夫があまりにも不甲斐なく、頼りないので、妻を支えたためしがない有様だが、三月で11年目を迎える。迎えられそうだし、ぜひ迎えたいと思う。職場にも、もう障がい者でいられなくなったために契約を更改するに際し、この妻と生涯を添い遂げたい、と記して提出した。上司の返事の声は、前広に検討する、といつもより上ずっていた。
シフは精悍で凛々しい表情で、両手を組んで去っていった。
シューベルト:即興曲集 D899から 第3番 変ト長調
これから何が起こるか、暗示しているようだった。思い当たることは、わたしと関わることになってしまった全ての人たちが、それぞれ各様に自分を生きるために、わたしのせいで失われた事情を回復し取り戻すには、ということであった。
わたしとしては、優しく、力強く、人間の美しいままに、穏やかに、時に熱情をもって、世の流れを諫め、燻され、太い樹木のように弱いものを守り抜いてもなお、そこに存在しようとし続ける、すなわち、みずから深く傷つき、おそれず己をも傷つけ、素直に、罪を悔い、それを改め、恵まれた分恵まれていないものを憐み、ゆえに世に憤慨し、そのために苦悶自問し、己の存在意義を完膚なきまで喪失し続ける、そんな存在に惹かれる。港を臨んで立つ、あの椎の木のように。
厳粛な背中を見せた。ベーゼンボーファーの銀文字が渋く光った。
J.S.バッハ:イタリア協奏曲 へ長調 BWV971から 第1楽章
わたしは、関わることになった人たちの現在を、よく知らない。だいぶ久しく会っていないし、大して会いたいとも会う必要があるとも思わない。なぜなら、みなそれぞれ、それぞれでいるだけの才能を有した素敵なひとたちだからだ。わたしは心の中で保証している、永遠に。
シフは両手を閉じ、深々と感謝し、ゆっくりと歩いた。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調 K545から 第1楽章
その中には、配偶者と生活を共にしているひともいると思うし、ひょっとすると、結婚していない人もいるのかもしれない。神様になにかうまいこと引き合わせてくれないかと祈った。ただし、神さまなので、愛す人はみな敵である。敵を愛しなさい、がイエスの教えなのだ。敵にできるから、最高に自分であれるのだ。素敵とは、「そのまんま敵」ということだから。
ピアノに手をついて礼をし、多少疲れているようにも見えた。
ショパン:マズルカ ハ長調 op.24-2
シフの演奏家人生が滲んでいた。しかし、それはそう容易に窺えるものでなかった。まるで宇宙の天体の軌道に乗った地点から、ばかでかい謎を外から眺め望むしか許されない空間を意味していた。最後は静謐な余韻を存分に残した。
決然と信仰深い姿勢で退場したが、戻ってきた。いよいよ、フィナーレだ。
シューマン:「子供のためのアルバム」op.68から「楽しき農夫」
選曲だけで笑いが起きた。いつものシフなら旋律に乗せてこう歌うだろう。
わたーしはーもういいでしょう。あとは、みなさんのじかんです。
笑いが起きた。シフも微笑んで礼をすると、会場のほとんどが立って拍手で喝采した。場内は名実共に真昼のように明るくなり、各々が楽しい印象を持ち帰った。
ホールを出て少し奥まった柱に、銅版画のレリーフが静かに堂々と掛かっていた。左端にコンマスだった音楽家の意志が彫り込まれていた。
できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。
武満徹
中央の肖像からは、額、鼻筋、喉仏が虹色に反射しているように見えた。初台から混雑する電車に乗り、iPSEで武満のレリーフについてウェブページを調べた。
レリーフについて
30代後半の武満徹の横顔をモニュメントにした。彼を知る人々にもまた直接会うチャンスを持たなかった多くの音楽を愛する人々にも、一度見たら忘れられない彼のプロフィール。
モニュメントは銅板の腐蝕(私の「道行き」とタイトルされたドゥローイング)のなかから、そんな彼が光の反射を受けて一瞬こちら側に語りかけてくれるようなものにしたかった。
そう、いくら親しい間柄とはいえ、互いに全てを知ってはならない。少なくとも、今はその時でない。わたしが今知れるのはせいぜい、金星の光と、それを輝かせる太陽の熱だ。その間に止まらなくてはならない。少なくとも、今しばらくは。
新線を降り立つと、新宿の西の夜空に、甘くて溶けそうな半月が、金木犀の後ろで赤く照っていた。いまやもう高くない木の枝先に萌している幾つかの芽は、三月も過ぎれば豊かに花ひらくという。わたしの元には来ない春だった。神の定めだ。涼しく冷えた気候をわたしは愛しているが、せめて頬に受けた風の温もりだけは、ずっと忘れないで生きていきたい。