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  • 軋鱓

    言葉は分けるものなので、自分の心を分けた分だけ伝わります。自分から失うということです。何でもそうですが、自分から失えばその分、人は貰えるじゃないですか。貰わない人も多いけど。

     - BWV727 あなたの道を進みます、それはわたしの希望です。心からの望みです。

    たつくりを噛み締めて
     わたしは、今この時代を、生きやすく良い時代になった、とは全く思わない、という立場で生活してきた。つまり、安易な生き方を選択していた。感覚を重視せず、感情を計らうのではなく理性を優先し、楽しもうと思うのでなく楽しいものなど何もないとして生き、この世に同調すること、順応適応しようと努めることを、全くやめることにする代わりに、わたし自身の生来の性質や来歴、思考上の特質に従って生きていくことにしてきた。これは苛烈なものとなった。己に厳しく堅物で、情緒的交渉の余地がなく、気遣いが求められる場面でも寡黙を守る。軟派な人たちは離れていき、どうせまた衆人から監視される人物になる。わたしはこれがわたしでしかないわたしだと諦め、楽しまねばならないと思い詰めた全ての趣味を捨て、合理的で共感的に見せていた人柄も消え去り、消費的に良しとされる娯楽や、多種にわたる享楽や、有名喧伝される世的な豊かさが得られる可能性を、余計な贅肉として削ぎ落とすしか、わたしの生き続ける方法をわたしは知らなかった。

    近代の外へ
     わたしは、近代が全てだとは思っていません。近代の基礎として広く認められた著作を読んでみると、聖書から出ていることは読めばわかります。聖書における命題の論証、その論証に基づいた論展開、聖句の引用。近代が聖書に基づいた、聖書と関係の深いものだということがわかります。でも、同時にわかることは、近代が切り取った命題は、聖書のごく一部だということです。近代が越えられない人は、聖書が近代より大きな内容を含んでいないとでも考えているのでしょうか。近代が切り取ったのは聖書の一部分、数面だけだということです。つまり、近代から現代は、聖書に書かれていることと比べたら、ごく一面を実現したにすぎない世界であります。現代が生きにくく苦悩が続くのは、ごく一面だからにすぎません。
     例えば、個人という概念は、完成した概念だとでも思われますか。わたしはとても思いません。なぜ葡萄の実の一粒が、一粒であることをわざわざ主張し、葡萄が木に生っている根拠としなくてはならないのですか。葡萄が木に生っているのは、明らかに、木の枝、幹、そして根であり、水や光や養土があっての事実でしょう。実が一粒なくたって、その木に実は生り続けるのです。個人の概念が便利なのは、実が潰れたり腐ったりしても実であると認められること、また、悪い実であっても等しく実であるとみなされること、つまり、善悪を差しおいて平等に扱われる点にあるでしょう。主人は善悪の性質を持つ葡萄の木なのです。悪い実は悪い木に、良い実は良い木に生るので、良い木が悪い木に土を通して養分を分けたのです。しかし、木の善悪を変えることは易しくないのです。百代にわたって続くことなのですから。そこで、個人を持ち出して、悪い実も実だよと認めてやったのです。そうすれば、悪い木が腐ったりやられても、良い木に影響が及びすぎないで、良い木は良い実を結び続けられるのです。
     葡萄酒は、良い実をたくさん貯めて発酵させて作ります。醸造技術について、わたしはそこまで詳しくありません。しかし、イエスは葡萄酒を、わたしの血による新しい契約、と言いました。血統、つまりイエスに続く者らの契約、です。良い実をたくさん集めて発酵させた契約なのです。悪い実でも葡萄酒は作れるでしょう。しかし、飲むたびにイエスを覚えるならば、飲み干すのは辛いでしょう。苦く苦しいでしょうから。でも、そのまずい葡萄酒も、新しい契約の対象です。また、パンは、小麦の粒をたくさん集めて擂って発酵させて焼いたものです。これをイエスはわたしの体である、と言ってさきました。良い小麦粒をたくさん集めて発酵させて焼いた体なのです。初穂となる良い麦ばかりでなく、毒麦でもパンは作れるでしょう。しかし、その有毒なパンを食べても、イエスに苦しめられ殺されるだけでしょう。悪い麦はそういう者でしかない。要するに、個人とは、結局そんな概念でしかないのです。
     これが完成した概念とでも思われるでしょうか。毒麦は生ってみるまでそのまま育つのだから、個人よりも大事な概念とは、悪いものを避け、困難や迫害に躓かず、煩悩や誘惑で覆われない、知恵で悟るように育てる概念ではないでしょうか。個人の概念にそんな力能はありません。自分の木がイエスと同じ木だと知っていたら、簡単でしょう。しかし、自分の木が悪い木だと知ったら、その衝撃と言ったら。その上での「個人」ですが、それ以降の救いはあるでしょうか。個人以上の概念が社会を支えるのでなければ、未来はそう良いものにはならないでしょう。

    幸福は目に見えない
     わたしは、言葉遣いや言い回しは、その人の経験からくると思う。読んできた本、日頃の頭を駆け巡っている言葉、自分を行動に駆り立ててきた言い回しなど。だから、わたしは人の言葉を聞く時、ある時期から意味を額面通り受け取らないようにした。そして、その言葉や意味が、その人の普段の頭の中、思考の表現なのだと感じるようにした。独特の言い回しや熱量の人は、長い間その人の頭の中を占めてきた誰かの言葉や自分の信条から出たもので、その人にとっては自分を支える真理のような言葉なのだろう、と思うようにした。だからわたしは、人の言葉はいつもその人のもの、つまり属人性と一体のものとして捉えている。それができるのも、わたしが人の言葉と神の言葉を峻別していることにもよる。つまり、人の言葉は人から出た言葉でしかない、ということを、明確に意識して聞いているのだ。たとえその人の言葉に真理を見て、わたしもそこに神の心を見たとしても、その人がそこで神に触れたにすぎないのだ、と見ている。なぜなら、人は神の全てを語ることなどできず、神の全てを見ることも叶わないような存在でしかないからだ。

    正しさの原理
     神は混沌から秩序をつくり、人もその秩序のうちであるから、人のなすことは、混沌に戻すことでなく、どこかになんらかの秩序をつくる行動である。部屋を服で散らかしていても、それだけ多くの服を買ったことで、部屋の外で経済が回り、循環している資源の一部を消費した。戦争を行う間、戦地は地獄であるが、その戦いはそれを終えた後に希望した秩序を作るために始められた。そして、それらを観察体験すれば、多くの人は、その秩序が果たして良いものか、望むべきものなのか、多くの人にとって好ましいものになるか、ということを考え出す。つまり、人は秩序の正しさを判断して物事をなしている。
     それでは、物事の秩序が正しいと判断される原理とはなんだろうか。次の三つであろう。
    1: 人類が死に絶え滅びないこと
     他の生物種との共存、戦争の無義、環境の分配
    2: 人が人をつくったのではないこと
     神の存在、人間性中心観の危うさ、人類の起源
    3: どの人も部分的であること
     理性(支配、権威、思想)の分限、経済の発生意義、多様性の前提
     ただ、これらが最終的な原理とは言えないだろうと思う。単純に考えても、さらに先の未来の生活様式は変化するだろうからである。現在食べられている食品とは異なる仕方で栄養を摂るようになっているかもしれない。地上でなく、上空や海中、あるいは近くの惑星において条件の異なる環境で暮らす人が増えているかもしれない。人類の難問が解決され、それを前提として思考できるために人類の思想が過去のものとして忘れ去られて良くなるかもしれない。それゆえに、何が正しいかという基準は時代によっても各様に変わると思われ、正しさを導く方法は残されるにせよ、具体的に何が正しいかについては、確定されないことだとわたしには思われる。 しかしながら、具体的な正しさは過去のそれに基づかなくては、正しくないこともまたわからない。それゆえ、わたしは愚かにも、今わたしが何を正しいと考えたらよいのかということを、わたしなりに過去の文献を漁り、生活を反省し、ここに残して将来に役立てようと考えたのである。

    想像力について
     どんなに有能でどんなに物の分かった人物でも、想像力は常に働くとは限らない。事情を知らないで考えればそれは失礼になる。わたしの課題はその裏の事情を伝えることだ。そうすれば、相手を失礼な行動に駆らずに済む。相手に失礼な言動をとらせることがわたしの失礼なのだ。わたしがそう感じるのはわたしの周りだけのことであり、原因はわたしにある。
     失礼は無知から来る。

    ヒジャブ
     街では目を伏せて歩く人ばかりなはずだから、女性が顔と手を除いて隠さねばならないなら、男性は女性の顔と手を除いて見てはならないという決まりがあったって良いはずである。しかし、今や人々は繁栄しその数が多くなってしまったので、広さの限られた道において、皆が目を伏せて歩けば互いにぶつかってしまうだろう。それでは、それらの目的に戻ればよい。すなわち、女性の装飾を表に出してはならないのは、何のため、誰のためなのか。男性が貞節を守るのは、女性が清廉であるためなのだから、装飾を隠すのは、男性が貞節を守りやすくするためばかりではなく、むしろ神に対して装飾を表に出してはならないためなのであろう。つまり、生来の外に現れた装飾で充分で、その他の装飾は人前では過剰であるということであろう。すると、やはりヒジャブがもし男性にとっての貞節の守りやすさのために決められたものにすぎないのであれば、男性的な都合による一時代的な解釈に基づいていることを考え直さなくてはならないだろう。
     わたしの想像するところでは、ヒジャブもどんな人でも守れるための簡易化する対策として考案された工夫であったと思われるが、今もそれを引き続ける必然性は必ずしも存在しないと考えている。つまり、何をもってすれば信仰であり、その本質との関係が薄いなら、その規則は人間が決めた一時的なことだと考えるべきではないか。信仰から外れてしまうような規則は、信仰のために見直すべきである。

    すべては探り尽くせぬままに
     神がひとつであるか、多くあるか、ということは、人には確定できないと思う。神の数は人にはわからない。一方で、もし神の理解の仕方がそれぞれの宗教で違っている、と考える者があれば、それこそよく考えてほしい。神がどうしてそれぞれ違ったふうに神を人に理解させる必要があったかと。神について別々の認識を持たせて多様性を形作らせるためだと考える者もいると思うし、違うふうに神を理解させるはずがないと考えて、継承したとある宗教の間柄に共通する流れを求める者もあろうし、現在のところ一般に信じられている教義の背後にある神の姿を、他の教典を参照して考え直す者もあろう。要するに、自分たちの宗教に閉じこもっていていい時代ではないし、閉じこもれる時代でもない。なぜなら、人々は正しいと思う際に昔よりもかなり広い範囲で判断するようになったからである。

    人間の自由と平等
     わたしは今、いくらか公的な機関で働いている。その傍らで、自分で憲法を学び始めた。教科書を3冊購入し、少しずつ読んでいる。なぜ自分からもっとよく知りたいと思うかといえば、憲法が若き日のわたしを救ってくれたからだ。
     わたしは20歳になって3日目、留置所に1週間ほど収監された。逮捕されたためだ。深夜の港で包丁を胸にしまって彷徨していた現行犯であった。逮捕してくれた警部によれば、当時のわたしは顔面蒼白で、保護目的で逮捕することにしたと話してくれた。というのは、わたしは釈放されてから、この警部を何度か訪ねに警察署まで通ったのだ。わたしを守ってくれたことで、わたしが私淑敬慕していたのである。訪れるたび、旬の山菜やきのこの話をよくしてくれたのを覚えている。
     学業で困ったことがない子供だった。字を書くのが好きで、漢字を写したり、データを集計計算し、自分で研究までしていた。好きなことがいくつかあったが、級友でそれを理解する人はおらず、元々わたしは人見知りが激しかったこともあり、友人は自然と限られとても少なかった。中学になると、勉強と部活動で淡々と過ぎ、最難関の進学校にほぼ満点の成績で入学した。悩みがないことが悩みです、と面談で言うくらい、何も悩まずに思春期が終わった。
     高校は転機だった。流石に優秀な生徒が集う学校で、人格や視点が備わった人も多かった。わたしはその中でも成績はかなり良かった。けれども、本質的に何も理解できていないことを自覚するようになり、そもそもなぜわたしは生きているのか、わからなくなってしまった。1年生の終わりに退学届を提出し、両親や担任を泣いて説得し、2年生の終わりに受理された。
     3年次は美術予備校に入り、建築を水彩で写生したり、立体を設計し構成したりする日々を送った。そこでもわたしは参考作品を残せたが、わたしとは何であるのか、という疑問が次第に心の中で大きくなり、秋から何も作れなくなってしまった。哲学書を4冊読み通し、自分でも考えを書いていったが、春になり、わたしは視床下部のあたりが壊れてしまい、精神科にかかることになった。
     ちょうどその頃、予備校から学費免除の葉書が届いていて、父が勧めたので、1年間交通費のみで通うことになった。何をしていたか記憶にない。その1年間の浪人の末、有名な国立大学に合格した。発表日の夜、わたしは泣いた。わたしのせいで将来の夢が絶たれた人がいることを思い申し訳なかったからだった。
     入学後に寮で一人暮らしを始めた。しかし、環境の変化に追いつけず、すぐに寮を出ることになった。そして、20歳の誕生日を迎え、3日後に、高校のある街の港へ深夜に訪れ、首を括るためのネクタイと、包丁を携えていた。その港にわたしの遺体を置こうと考えていたのである。
     逮捕された夜、わたしはよく眠っていた。朝起きて、房にはわたし含め3人の逮捕者がいた。ひとりは自転車盗の24歳の青年、もうひとりは車上荒らしをしたという30代の男性。話してみると、別に悪い人だとも思わなかった。青年はお金に困っていたような話をし反省していたようだった。30代の方は会話があまり成り立たず、おそらく知的な不自由さを抱えていたようだった。わたしとは育ちも考え方もものの見方も違う3人だったが、同じ房で生活を共にした。
     朝食が運ばれてきた。市価として200円くらいの食事で、パンは近所の工場で朝できたばかりの製品とのことだった。わたしはそれをゆっくり食べながら泣いた。このような3人に、等しく食事が配られ、お手洗いと寝具が備わった房は静かで、本も貸してもらった。わたしは、アルジャーノンに花束を、を借りて読んだ。脳に病を抱えていた自分と重ねて読んだ。
     その房は、今までわたしの過ごしたどの環境よりも居心地が良かった。わたしは生きていいのだと生まれて初めて思った。わたしの命が無条件で守られ、この世で生き残っていていいのだと認められた。房は人権が徹底して守られている場所だった。そこは人間の自由と平等だった。生きていていい、それがみなに等しく許されていた。それがどんな罪を犯した者であっても、生き残ったのだから生きていていい。相応の刑を与えられないと償うこともできないのだから、罰を受けることは必至だ。けれども、償う機会を与えられることは、犯罪者に償う幸せを与えることであるから、これも人権からくる仕組みだ。わたしは送検され、起訴されず無罪で釈放された。わたしの命が憲法に守られた。
     20年闘病した精神の病も、昨年で治療が終わり、ようやく落ち着いた中、わたしは自分で憲法を学び始めた。若き日のわたしを救ってくれた存在を、あまりに知らないので、もっとよく知りたいと思うからだ。第1章から涙が溢れ出た。わたしは生きていていい、生き残っていていいのだ。このわたしにとっての憲法の原体験を胸に、憲法の基礎を思想から深く理解したい。そして、人権を守る立場として長く働くことで、罪を償っていきたい。

    平成の「戦争的なこと」からみた平和
     わたしは、いかに人と違っていられるかばかり考えて生きてきました。人と違っていれば安心し、少しでも人と同じところを見つけると、すぐに違うものに変える、そういう考えで動いてきました。背景には、情報通信社会で個性が重視される世の中で、発想や創造性が常に問われましたし、それでも経済は安定せず、ますます差異を求め、個性化多様化の流れを早めるひとりでいました。それしか生き抜く方法がないと思っていたし、時代はどんどん変わる一方だと捉えていました。
     ところが、令和になって、コロナ禍のあたりから、少し流れが変わっていることを知りました。洋服のトレンドは回らなくなり、消費は定番化固定化し、ものを持たなくなり、高価なもので差別化しないどころかそもそも差別化を嫌い、かといって皆と同じでいなくてはという圧力も弱くなってきました。外見だけでなく、内面においても、同調は求めず、共感ばかりでもなく、自ら推す側に立ち、押し付けを避け、主張は抑えめに、認められたくもあり「いいね!」で認めてあげてもいる。こういう私は若くない世代に含まれていると思うけど、親族に若い人がいない家庭では、上の世代から若い人たちのことがどう見えるか、何かよくわからないけどいい感じになっていると映るだろうと思う。ですから、もし平成の激動を昭和の戦争に喩えて良いとすれば、令和は戦後のような印象です。このような観点で、平成を生き抜いた私から見た戦争について考察できればと思います。
     まず、私が令和になって悟ったことは、私は多少でも認められたかっただけで、認める側に立とうとしてこなかったということです。人を認める立場を人の上から眺めるものだと思っていたからです。いざ私が人を認めるように努める立場に変わってから、すぐに、自分が個性的であることに飽き、人と違うことにも飽きました。人と違うことは当然で自明だったからです。イエスの弟子は12人とも異なって個性的で、それぞれが人間的です。裏切ったり、自分を守るため嘘をついたり、自死した人もいます。思想は持たされるものです。まさかパウロもペテロも、自分があのような思想を持たされて最後まで動くことになるとは、イエスに出会うまで考えもしなかったことでしょう。環境によって人は変わる。ひとりひとりが持っているというか持たされた賜物も、あるきっかけによって活かされる。自分の賜物が人と異なっていると気付かされるとき、自分の賜物を自覚し、その方へ変わって確実なものに育っていく。
     なぜこのことを話すかといえば、平成における戦争では「傷つく」がキーワードだった気がするからです。傷つき傷つけられる。傷つけられれば自尊心が問題になる。傷つければ自責と後悔が長く残る。傷つけていたかもしれないという恐怖や不安が常に伴い、傷つけば癒えるまでに時間を要する。いずれにしろいかにして綺麗に忘れられるかに平安を見る。心の傷をめぐって戦争状態にあったと言えると思います。
     しかし、考えてみれば、傷つくとは、それが自分の弱い点だと気づくきっかけを得たことでもあります。軽率だった部分を自覚することができます。福音書に登場する弟子たちも皆、軽率な行いをしたからこそ、思想をそれぞれに持たされ、その後を生きました。イエスに癒されたり諭されたりした登場人物たちも、イエスの前で軽率な行いをとってしまったからこそ、おそらくその後の人生の根幹となる思想を各々持たされて生きたのだと想像します。それは、弱い自分をイエスによって発見できたからではないでしょうか。
     強くなりたい、力に憧れる、そういう願いを持つ人が、令和になって増えた気がします。本当に人を守れるなら自衛官になりたいと言っていた若者を見たことがあります。強くあらねば生き抜けない、高い能力こそ生き抜く武器になる。そんな風潮が強まっている気がします。力や強さは、平成を過ぎて新たな世代が求めているものだとすれば、戦後に昭和を生きた人が経済力や豊富な物質性を求めたのと重なる気がします。平和な時代には何らかの力が求められてしまうのではと思うのです。それがまた何らかの新しい戦争を引き起こすことになるのであります。強い力を持っていると思ってしまえば、人を傷つけても鈍感でいられるからです。本当に強いときとは、自分が弱い存在だと知っているときです。ひとくきの葦のようでありながら、虚栄心からでしか動けない、惨めな存在。それが神が造った人のありさまです。もし神が何よりも強い存在だとしたら、それは神が何よりも弱くあれるからです。イエスがそれを人に見せて示してくれました。本当に強い人は、誰よりも弱い人です。その弱さから、全ての強さが出てくるのです。
     傷つくことをめぐる戦争が終わってみると、傷ついた人ほど強くあれるのではないかと感じます。自分が弱い存在であることを身に染みて覚えていられるからです。戦争とは、いかに誰よりも弱くあれるかという競争だったのではと思うほどです。傷つくことも傷つけることも、恐れが伴います。自分の弱点を知ることは虚栄心に反するから嫌なのです。でも、傷の多い人ほど、弱いことを悟って、次の平和な時代を強く歩めるのだと思います。平和な時代に力が求められるのは、考えると自然な道理なのかもしれません。
     終戦というのは一斉な出来事でしたから、今日で戦争が終わったのだとわかります。しかし、平成の戦争は、なんとなく感じることでしか、終わったことを知れません。一斉の終結ではないのです。それではっきりと見えないのだと思います。別に言えば、一斉に起こっていないとも言えます。人により区切って過ぎて克服して思い出のうちに去っていくようなことだからです。
     わたしは、戦争をこのような話として捉えています。体験から実感するとしたら、です。もちろん、想像の限りでは、戦争とは人を殺すことであり、人を殺したくて殺す人はおらず、自分が殺されるから自分から殺さなくてはならない戦場で、国のためなど何かの大義名分がなければそもそも戦争をする気にはなれない軍人たちが、敵と味方という殺す殺される環境の中で、自分や仲間の命を本当に賭けてまで、人を殺すことだと思います。これに類する次元で、平成も戦争が起きていたと考えてよいなら、あちこちで頻発していたいじめや自殺や差別など、それぞれの現場が戦争の中にあったのだと捉えられます。個別の状況で出来事に憔悴した人がどれほど多くいたかを思います。人は力を得ると、力で人を傷つけます。しかし、力で破壊された街や人の心を自分の目で見たい兵士はいないでしょう。ましてや自分の力で破壊したのなら。
     そうならないようにするには、弱さをいつも覚えることが大事だと思います。自分は弱いといつも思っていることです。そうする方法は私たちにとっては簡単です。イエスキリストの十字架を思えばいいのです。誰よりも弱くいてくださった。そうして、人の何よりの弱みである「死」に打ち勝つ強さを与えられたのです。私は強い、と思っているとき、その強さは錯覚に過ぎないのではないか、そう自分を見つめることです。イエスはどこまでも弱くあろうとしましたから。どこまでも弱くある、神はきっとそんな性質を持つ存在なのです。だからこそ、神は全能で全知の強さを永遠のものにしているのでしょう。私たちは誰も、神ほどは弱くなれません。平和は弱さを覚える人々の間にあることを思います。
     人の脳は、敵を裁くと強い快楽を得てしまうために、どこかで常に敵を持ちたいと思ってしまう性質があるそうです。でもだからこそイエスはあなたの敵を愛しなさいと教えたのだと思います。あなたが敵と見ている人はあなたが敵を欲するその欲の対象として見ているだけで、本当は敵でもなんでもない愛すべき人なんだよと。戦後も思想が力を持っているかのように見えた時代が続きました。今もそんな面はあります。しかし、思想とは、人の弱さを表明したものです。考え方の違いとは、人の弱さの違いです。だから、守られなければならない。どんなに強い立場にある人であろうと、人はみな弱いです。だから、考え方は人ではなく法で守られなくてはならない。それぞれに個性的な弱さを持たされていることは、聖書でも自然な人のあり方だと思うのです。弱さに気づき、弱くあれと言われる社会は、きっと平和な社会です。人と違う弱さをもっと求めるくらいの社会にしたいものです。

     このように考えるようになってから、さまざまな話を学びました。本や動画を通して、歴史的な場所への旅を通して、また礼拝説教を通して。その中で実際、私の行動は変わりました。いくつかの政党の刊行物を自分からとって読むようになり、県や市の広報誌や議会の報告、議員のレポートを捨てずに読むようになり、政治とは何で、何ができ、何ができてしまうか、故にどう見るか、そして法律の役割を考え、憲法を読み返しました。
     実はそれまで社会に関する関心は私はあまり高くなく、どうせ移り変わるもの、この世は人の手では完全に良くなることはない、などと思っていたものですから、世界や地域で何が起こっても、それほど考えが湧き上がることはありませんでした。しかし、いざ考えようとすると自然と無知を自覚し、知らなければと思い直し、いろいろな話を聞くにつれ、何かできそうだし少しずつ良くすることはできるし、今こうなっているのも尽力した大勢の人がいたからで今もそう努めている人がたくさんいるということに容易に気づき、何というか情けなく申し訳なくなり自然と敬意を払うべき人が心の中に増えました。
     そうなっていくにつれ、困窮する人、犯罪で裁かれた人、順調で成功しか体験していない人、その他さまざまな人生の境遇について、その原因を安易に自己責任と断定することや、それ以降振り向かず無視すること、殺人や強盗を含め犯罪を悪だと決めつけること、そういうことができなくなりました。それは同時に、政治家が悪いとか、官僚が仕事してないとか、金持ちはどうせ悪いことをしているといった、簡単な報道を見た単純な観念が、関係しない人が考えないゆえに生じた観念に過ぎず、当事者からしたら真っ当な成り行きがあるのにそれを考慮していないだけということを痛感し、こうした勝手な想像を、仮に多数派がそう思っているとしても、少なくとも私の中からは徹底して排除していこうと思った。なぜなら、何も携わらないで傍からちょっと見聞きするくらいの見識では、選挙権を持つ身としてあるいは裁判員等として十分に役割を果たせないと感じたし、さまざまな意見や生き様や経験をまとめる立場にある人にとって、社会をどう考えどうしていくか、という視点を深めない生き方はしたくないと思ったからです。私は今後、もっと他の公的な役割を引き受ける生き方をしたいと思っています。
     政府は、他を出し抜いて利益を上げる経営戦略のような運営ではダメだし、トップが単純なビジョンを掲げてそれに沿って一致団結して進めるようなものとは違うし、あくまで憲法を遵守しながら、統一や支配や狂信のためでなく多様性の維持と保護のために動くべきで、それはなぜかといえば多様性がより豊富なほどその生態系ないし社会は長続きすることが証明されているからです。多様なほうが進化できるし何かあった時に別の手段や方向に切り替えやすいし、何が起こるかわかりにくくはなるけどそれだけ不測の事態に自然と備えられる、つまり頑健になり強い社会になる。だから、最近広まったことかもしれないけど多様性は存続の条件だと思っています。単一の単純で画一的な皆同じ社会は脆く弱くいずれすぐ終わります。多様性を確保することは相当の手間と困難と労力を費やすことですが、楽な道こそ罠であります。
     なぜ神がつくった自然にこれほど多様な生き物がいるのでしょう。なぜ福音書が4種類存在し、なぜ弟子が12人いてそれぞれ皆大きく異なる人物なのでしょう。なぜ人が容易に知れないような深い真理を、世界の秩序としたのでしょう。そもそもなぜ人をこれだけ異なっていけるように脳をはじめとする人体を神は創造したのでしょう。神が画一性でなく多様性を内在していることは明白で、人の脳が短絡的に持ってしまうような単一の基準や論理で神が世界をつくっていないことは当然な気がします。だから人の脳には神の知恵が捉えがたいし、また、捉えがたいように人の脳を設計し人に与えています。もし捉えられるなら人は簡単に神と同じだと思い込めてしまう。傲慢さや悲しみなどの感情も、人が神と異なることを人に知らしめ神を畏れるようにするための巧い仕組みです。神は人を神と同じものとしてつくるつもりはなかった。そのための仕組みが人体には存在している。それは人体を学んだことのあるクリスチャンにとってはわりと自然な見方や発想だと思います。
     このように神は、多様であるように、同じ存在がいつどこにも存在することがないように、人をつくったのですが、人は同じと認知する仕組みも脳にはあります。数や計算、言葉や図などの記号的な思考はそういう認知の仕組みがあって成り立つものだと思います。おそらく、もとは同じ神を思うために神は人に同じと思う心をそなわせたのだろうと思います。ところが、人はそれを重要だと思い過ぎたのか、言語や計算や法則や情報を役立てて繁栄してきた面があり、その最たる結果が現代だと思います。そう考えると、今多様性が必要だとわざわざ言われるようになっているのは、そもそもはこの同じと思う心が過剰になり多様である認識が弱く失われやすい状況になっているからだと思います。要するに、これはこれと同じと簡単に思いやすく、そういう思考に染まりきってしまい、お金や地位など単一の尺度で価値を測りやすく、自分と同じだがあれは違うと考えて敵を作りやすく、分断や排除や差別や格差が簡単に蔓延して撲滅が難しくなってしまっているのだと思います。同じと見て多様性を忘れてしまうのは、神から離れてしまうことで、人の次元に閉じこもっていくことです。うまくいかなくなるのも当然です。
     その上で、政治に何ができるかということです。要は基本的に多様性の方向を進むべきで、法律も個別対応が中心であるべきで、それらをあらかじめ常に整理しておき応急の対応ができるように公務の役割があり、決して抽象的な議論にとどまるものでなく、もし具体性がない政権運営が続くなら、それがどんなに理想的で望ましいことを語っていても、社会を脆弱にする危険を孕んでいます。多様性こそ神にかなうプランである。私は最低でもそう見て、複雑に見えるものごとを判断していこうと思います。

    涙を刻む
     僕の辞書には幸い、平和という語があります。引いてみると、「戦争がないこと」「戦争の対義語」とあります。また、「世の中が穏やかなこと」ともある。つまり、平和はこの世についてのことです。神が愛したこの世についてのことです。神がイエスキリストをこの世につかわしたのは、イエスキリストによってこの世が救われるためですから、神がこの世を救おうとしていることがわかります。しかしまた、この世が穏やかなこと、つまり「平和」と、「世の救い」とは少し違った言葉です。平和は人がつくり出せるものと思いますが、世の救いを実現するのはイエスキリストだからです。わたしたちにできることは、平和をつくりだすことで、この世を救うことではない。
     以上は当然ながら、ヨハネ3:15-17 の内容ですが、この箇所には、「この世をさばくためではなく」という言葉があります。マタイ5:17 で、イエスは「律法を廃止するためでなく、成就するために来た」と言っておられます。イエスは世をさばかない、でも、神は依然として今も、世も人もさばく御方です。
     わたしは受洗し救われたから天国へ行ける、と簡単に考えていたのですが、それが真実でないことを最近聖書で知りました。個人的な体験なのですが、わたしが長く闘病した脳の病気について、2024年春に治療が終わりました。20年間の服薬から解放されてから、食べ物の味がわかるようになったり、入浴後にあったまったと思えるようになったり、身近な出来事を記憶できるようになったりと、生きた心地がするようになりました。同時に、よく泣くようになりました。礼拝に出ても後悔ばかりが募り、讃美歌も主の祈りも言葉が涙で詰まって最後まで続かず、知らずに歯ぎしりするようになり、妻から勧められて買ったマウスピースは3か月もつはずなのに2日で噛み切れてしまいました。あるときふと聖書アプリで「泣いて歯ぎしりする」を検索しました。すると、マタイ8:12 には、クリスチャンのほとんどが宴の外に放り出され泣いて歯ぎしりする、マタイ13:41-42 では、クリスチャンの中から躓きと不法を行う人を集めて炉の中に放り込み泣いて歯ぎしりする、とありました。クリスチャンになったからといって、天国へ行けるなんてただの思い込みだったのです。
     それ以来、僕の半生で培ってきたはずの認識を悔い改めています。真理がわかりやすいはずがない。わかりやすいことに出くわしたり、そういう思いでわかったと思うようなら、そんなものが本当であるはずがない。例えば、もっと隠れた事実がある、見えない背景がある、隠している理由がある。そう考えるようになるべきだと戒めました。今までのわたしは、単にわかりやすい事実の中で生きたかったのでしょう。真理は単純だと。これからもしそんな人たちに出会っても、僕は何か言いたくはないです。彼らはそれで幸せそうに暮らせているのだろうし、人生には順境すなわち思うようにうまくいく時期も必要だと思うからです。
     戦争を体験した教会員の話を覚えています。「天皇陛下の御為に生命を捧げ、国に忠義を、親に孝行を尽くすという教育を受けた」が、「終戦で友も夢も消え、神仏があるのなら、なぜこんなわたしをつくったのか」との思いから教会を訪れ受洗したという兄弟でした。教会で兄の話を聞くと、青年だった自身を愚かだったと僕によく言っていました。「俺は無学だし難しいことは何にも分からないよ。だけど、俺を救ってくれるのはイエス・キリストだけなんだ!それだけはたしかなんだ」 これは兄の言葉ですが、僕も神学など聖書の難しいことは無学でまだなにもわかりませんが、僕の病をいやしてくれたのはイエスキリストであることは確かでしたので、僕は兄の言葉に自分を重ねていました。なぜわたしを20年も難しい病の状態においたのか、なぜ僕をこの世で生かしているのか。
     僕は、僕の命をなげうつ価値がある戦いなら、そうしようと思っています。しかし、どうみても愚かだとしか思えないような戦争に、この命を使うのは、あまりにもばかばかしい。幸か不幸か、不勉強なので、僕は愚かな戦争しか知りません。例えば「天皇陛下の為に命を捧げるのが忠義だ」、こんな単純なことが真理であるはずがない。しかし、もし、自分が知ってか知らずか加担してしまったような戦いが起こったら、僕は責任を果たそうと思います。その時には、僕は必ず戦わず、できることを果たします。そのなかで、けがはもちろん、命を落とすことがあっても、それは僕のこの世での言動の悪の結果ですから、誰のことも憎んだり恨んだりしません、そうやったって悪が増幅するだけです。イエスキリストは悪を憎みますから、イエスキリストにできるかぎり離れずにいられる言動をとります。
     僕は、自分がこの世に生きていてよかったのか、最後に神にさばいてもらった結果を知りたいと思って生活しています。今の僕は天国へ行けるような人ではないと思います。天国へ行けるかどうかは、自分でわかるようなことではないし、誰にも判断できるものでもないでしょう。それに、僕は本稿ですでに「どうみても愚かだとしか思えないような戦争は、ばかばかしい」などと言っていますし、「僕の命をなげうつ価値がある戦いなら、そうしようと思う」などと誓っていますから、僕はまだまだ悪いのです。要するに、僕は考えがぜんぜん足りていないし、信仰も薄いのです。戦争について日頃から考えることは大事だと思いますが、そうしたって戦争が起こったら、自分などが正しくあれるだろうかと思います。この時代が穏やかであろうと、戦争に巻き込まれようと、僕の命が終わったとき、神がわたしをどうさばくのか。
     結局わたしは天国へ行けなくて、炉の中に入れられ泣いて歯ぎしりするとしても、僕はそれで納得し、生きていてよかったのだと思えます。そういう意味がある人生だったのですから。今の僕の中には、争いや心配ごとがないので、平和です。せめて僕の辞書の中だけでも、平和の意味を刻み付けています。

    面向き
     たつくりは不思議な食べ物で、海のものとも山のものとも言えるうえ、甘く、しょっぱく、かつ、苦い。べたべたしていて、尖っており、嚙み砕く必要もあるが、いざ噛んでみると、あっさりしていて、香ばしくもあり、新鮮にも感じる、今時珍しい食べ物だ。
     たつくりは妻が好きな食べ物だ。毎年スーパーで買っているが、好むものと好まないものがあり、何が決め手なのかわからなかった。今年も昨年末にスーパーで買った。大晦日に先に味見してみたが、妻も気に入ってくれる気がする。妻に似ているからだ。わたしが好きな妻の持ち味に。